外交白痴

菅首相日中関係改善のためとして、有識者懇談会「中国問題懇談会」を発足させるそうです。そのメンバーは御手洗冨士夫日本経団連会長・安藤国威ソニー生命会長・池田守男資生堂相談役・坂根正弘小松製作所会長・成田豊電通名誉相談役・依田巽ティーワイリミテッド会長ら経済人や、作家の石川好・宮本雄二前中国大使・高原明生東大教授という顔ぶれです。経済人の殆どは中国での事業展開を積極的におこなっている企業の元経営者ですし、宮本前中国大使などは北京で大使をしているときには、公邸に中国政府の官僚を招いて頻繁にパーティを開いており、その招待客の中には中国の安全局などの対日工作機関のメンバーが多くいたそうで、中国側の意図に沿った大使でした。このようなメンバーでは、中国にどのように譲歩してゆけば、仲良くしてもらえるのかという懇談会になるのは目に見えています。

また昨年の漁船事件直後の10月に行われたブリュッセルでアジア欧州会議での、いわゆる菅総理温家宝との廊下会談では、「温首相は日本の立場をご存じでしょうから、今日は言いません」と尖閣は日本の領土であるという主張をしなかったと産経新聞は伝えています。温家宝も中国の主張をしなかったとのことで、日本国民も中国国民も相互に領土だと主張したという両総理の2枚舌に騙されたということです。

そもそも原則として今回の中国漁船の事故は、中国側の挑発不法行為にあることを忘れたのでしょうか。日本側が中国に対して遠慮することは何もないはずですし、実効支配しているのですから、遠慮が続けばついに中国に実効支配されてしまいます。相互に智恵をだしあって解決してゆく問題だとか寝ぼけたことを言っていますが、つまりどのように譲歩しようかということで、その結果が検察が外交的見地から釈放という、無残で屈辱的な敗北外交でした。

そもそも中国は相手の弱みを労わったり叩いたりし、翻弄することで相手をコントロールすることが外交の手法だと思っています。また自分の都合が悪くなると、面子だとか国民感情をもちだして自己弁護する国民性です。そんな相手に譲歩することを考えていては、ついには身包み剥がれてしまいます。自分が失ってはならない誇りとか利益を明確に意識できないで、表面の関係改善だけを目的としているのが菅直人という男の招待でしょう。


1月24日の施政方針演説で菅総理は、「革命を主導した孫文には、彼を支える多くの日本の友人がいた」といいましたが、孫文は当時の中国の反体制活動家でした。ならば日本は劉暁波とかダライラマや、ウィグルの活動家を支援すべきではないのでしょうか。

場当たりで日中関係をつくろおうと思って、浅い知識をひけらかしただけでした。

リスクなき堕落

昨日菅総理が、S&Pが日本国債長期格付けを引き下げたことについて、「そういうことに疎いので、コメントは改めてさせてほしい」と言ったそうです。

呆れてものが言えません。政策があらゆることに影響し、国民の生活を左右するということが、この総理にはまったくわかっていないのでしょう。格下げは国債長期金利を押し上げ、住宅ローンなどの長期の融資の金利を押し上げることになり、さらには国内の金融機関などが殆ど保有する国債の価値が下がり、結果として国内の金融機関に大きな損失を与えることになります。経済にとってこれほど重要なことに「そういうことに疎い」人間が総理大臣では、国民はたまったものではありません。素人以下です。やはり菅直人という男は、地位に固執しているだけの俗にいう「バカと煙は高いところが好き」という程度の政治家なのでしょう。いわゆる欲に目がくらんでいるボケ老人ですかね。

今の日本にとって最大のリスクは、民主党政権でしょう。

そもそも日本人は戦後のアメリカの占領政策の効果により、リスクが認識できなくなっているのではないでしょうか。
戦後いまだに金科玉条のようにありがたがっているアメリカから巧妙に押し付けられた日本国憲法前文には、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とあります。つまり憲法は国民が豊かに安全に暮らすことより、日本から戦争という政治手法の1つを奪うことのためにあるというのです。
さらには「その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とあり、福利つまり利益は国民が受けるとは書いてありますが、そのための義務とか負担あってはじめて権力の選定ができるとは書いてありません。民主党政権誕生の時に、バラマキに共鳴して狂喜したおろかな大衆を思い起こします。
そして極めつけは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあります。つまりは回りはみんな良い人だから、玄関に扉もかけなくていいし、泥棒や強盗、人殺しもいないと言っているのです。

これによって国家痴呆症になってしまったのです。国家が病気になれば、当然のように国民も病気になります。そして「失われた10年」「リーマンショック」と続く衝撃に、為す術もなく、見つめ続けているのが今の日本人です。最近 アフリカや中東で反政府暴動がおこり、政権打倒のデモが頻発しています。しかし日本人は、尖閣で辱められ経済が低迷するなかで消費増税・年金需給年齢の引き上げが言われだしても、政府打倒とはなりません。これは日本人が穏やかで文化的なためではなく、危機やリスクを認識できなくなっているためなのです。

20年ほど前に、井出孫六の峠に関する評論を読んだことがあります。たしかそれには、目時期に日本各地で鉄道建設がおこなわれ、それまで幹線道路の役割を果たしていた峠が、袋小路のように人も物も通わない寂れた場所になり、それまでの中継地としての賑わいから、僻地として寂れていったそうです。その結果、峠では桑の栽培と養蚕事業が増えましたが、その養蚕の相場の蘭高下が激しく、借金を抱える農家が増えて、その農家の娘さんたちが身売りをさせられ遊郭に身を沈めていく者が多かったという話だったと思います。

この本を読んだときに、私は明治の人たちの慎ましい生活にも、絶えずリスクがあったのだと思いました。
満州への移民も、侵略だなんだと言いがかりをつけられてはいますが、当時の日本人は大地に希望を抱き且つリスクも覚悟して、農地の開拓に羽ばたいていったのでしょう。
また南洋の島々にも多くの日本人が、サトウキビ栽培・製糖事業・魚介の缶詰製造に、リスクを覚悟して乗り出していったのです。
どんな時代でも飢饉や戦禍のリスクは常にあったでしょうし、その覚悟の中で生きてきました。戦後のたかだか30、40年ほどが経済成長と安保条約によって、リスクが無いと錯覚していただけではないでしょうか。それを栄光の時代と思い込んで、懐かしんでいるのが、中高年世代ではないでしょうか。
バブル崩壊後に社会に出て行った若い人たちは、経済がどんどん成長してゆく思い出がありません。就職が厳しいときしかしりません。その若人たちの未来を、中高年がリスクをおそれて先食いしているのです。
日本の青年たちはすでに中高年のエゴに辟易して、中高年を見捨てているのではないでしょうか。若い世代が新規事業やM&Aに積極的で、既成の社会秩序を無視していることやら、中高年が古いとか封建的と言って否定し続けてきた日本文化を積極的に取り入れようとしています。これは団塊世代などを中心とした、リスクから逃げ続け独善だけで行きてゆこうとする中高年が、レッドカードを突きつけられているのです。

ノータリン卑怯者政権

いよいよ国会が始まりましたが、相変わらず菅首相の演説にはメリハリも中身もないように思われます。財源の確保の無いまま子供手当てだ所得保障だと「生活者保護が消費を上向きにする」と言い続けています。
そして消費税増税と年金改革で財政再建とは言ってますが、社会保険庁のモラトリアムを追及せずに年金支給年齢を上げようとしています。その結果として天下り禁止をうたい文句に定年延長と役人の官庁での囲い込みを行った結果、今年の公務員の採用が40%ほど少ないそうです。産業と経済の活性を促すことなく、バラマキと数字合わせに終始している煽りを、これから社会人になろうとしている新規学卒者が受けているのです。公務員の給料は下げずに、人件費削減で新規採用を減らしていては、若い人たちが日本の未来が明るいと思うはずがありません。
負担は大人が背負い夢を若人に与えなければ、日本の将来見えないのは当然です。

日本のGDPの成長率は実質で1.5%、デフレを考慮した名目では1.0%です。4%の成長率が無ければ、単年度の財政収支が赤字から抜け出れないといわれる中で、民主党政権は経済政策に大胆に取り組めずに無駄で悲惨な時間を消費しています。バブル崩壊失われた10年といわれ、低成長を続ける中でも小泉政権が発足して2年後には成長率が上向き傾向になり、それが5年あまりは続きました。そしてリーマンショックで大きく世界中が落ち込みましたが、安陪政権から麻生政権で緩慢ではありましたが徐々に回復傾向にありました。しかし民主党政権になり、世界中が成長しインフレ傾向にあるなかで、日本のみが下降気味でデフレになっています。あきらかに国民の政権選択が誤っていたということです。

国民はその過ちを悔いているのですから、もう衆議院解散選挙しか日本には選択肢がないのです。

外交では敗北続き、いつまでも経済政策の方向を変えないノータリン卑怯者政権の菅直人総理は、地位だけに恋々とする痴呆症なのでしょう。

再開します

2ヶ月余り休んでおりましたが、ブログを再開します。


今日の産経のニュースに「遺棄化学兵器、処理へ政府、来年度から中国・ハルバ嶺」というのがありました。平成20年に凍結された中国での遺棄化学兵器処理事業が、尖閣での漁船衝突事件で悪化した日中関係改善のために再開されようとしています。
さまざまな疑念が露呈し凍結された事業が、脅されて再開では、日本人であることが恥ずかしくなります。

丹羽駐中国大使も、尖閣事件直後に「中国へのODAを拡大すべき」と発言しています。深夜に中国外交部に呼び出され、恫喝を受けてよほど怖かったのでしょうか、かつての安保闘争の学生闘士も、財を成し名を揚げて腰抜けになったということなのでしょう。大使の辞任をされたほうがいいのではないでしょうか。

そもそも遺棄化学兵器自体が、日本軍の敗戦により当時の国民党軍に引き渡されたものであり、このことはジャーナリストの水間政憲氏により詳細に証明されています。その化学兵器の管理責任は中国側にあり、その処理義務も中国にあるのです。遺棄化学兵器ではなく、つまりポツダム宣言に基づいて中国ソ連に渡した引渡化学兵器なのです。それを外務省は事実を隠蔽し、謂れの無いお詫びとして、最大60兆円といわれる国民の血税をつぎ込んでいます。中国はこの遺棄化学兵器の話を持ち出した頃に、中国国内向けに「東北大開発」という、旧満州の東北三省の大開発計画をぶち上げていました。中国の沿海部の開発が進む中で、東北三省の開発が遅れていて格差への不満が鬱積していました。この中国の国内向けの経済政策の原資に、謝罪として遺棄化学兵器処理の無償ODAが利用されていたことは、充分に想像できることです。ありていに言えば中国に嵌められたのです。


外務省は国家意識・国民の財産の保護・民族の名誉をかなぐり捨てて、中国に媚びることが外交だと錯覚しているのか、はたまたよほど中国から個人的な利益を得ているのか、それとも中国に他人には言えない弱みを握られているとしか思えません。

東大を優秀な成績で卒業し、難関の外交官試験に合格し、市井の駆け引きも、人情の機微も知らずに、決められた階段を上ることに専念するあまり、重職に就く覚悟が無いまま齢を重ねる外務官僚は、国家に害をなす存在でしかないのではないでしょうか。

有名大学にいけなかったものの僻みに聞こえるかもしれませんが、国家の前線に立つということは、生死をも省みない覚悟が必要なのではないでしょうか。

武士は元服の時に、その父から最初に切腹の作法を習ったそうです。つまり責任の取り方が、政治行政という立場にあるものにとって、基本的な価値観であるということなのでしょう。

声がでかいだけの卑怯者

尖閣事件のビデオが流出し、政府はヒステリーになっているようですが、なぜそんなに感情的になるのでしょうか。
今月7日から横浜で行われるAPECで、胡錦濤との首脳会談を何が何でも行いたいのでしょうが、事の真相を封じたままで、それも中国に有利な状態で行いたいという政府の意図が理解できません。
ビデオの流出は、事件の発生当初から誰でも予想していたことですし、以前から一部ではすでにDVDが出回っているという噂までありました。このビデオは単なる刑事事件の証拠品という次元から、政府が弱腰対応で検察の判断として釈放した時点で、国民の知る権利の対象になっています。それを公開せずに、たかだか6分程度のものを、国会の秘密会で視聴するというのでは、流出して当然です。
釈放にしてもビデオの公開禁止にしても、あまりにも中国への配慮のし過ぎではないでしょうか。つまり中国主導の日本外交になっていて、それに国民が怒っているのです。

いま仙石官房長官は、やっきになって流出の犯人探しをしているようですが、犯人が見つかると、その犯人は英雄になります。英雄は政府の弱腰に義憤し流出という行動にでたのですから。「藪をつついて蛇がでてきた」ということになるのは解っていても、洞察と計画はなく、ただ突っかかって言い負かすことが政治だと勘違いしているような知能程度では、自分で自分の首を絞めることになるのは自明のことです。
一度洗濯機で頭を洗いなおすことを、菅・仙石の2人にはお勧めします。

それにビデオの流出先が、海上保安庁だ検察だと騒いでいますが、おそらくアメリカ軍にも渡っていたはずです。在日米軍に事情聴取でもしたらどうですか。
小沢に国会招致の説得もできないのですから、米軍には電話もかけられないでしょうが。

声がでかいだけの卑怯者では、一国の政権運営ができないことに、もう気づいているはずですから、国民からレッドカードを提示される前に、身を引いて国外逃亡でもすることが菅首相の晩節を汚さないことになるのではないでしょうか。そういえば昨日どこかの懇談会で、首相は「政権の延命を考えず」と発言したそうです。一刻も早いほうがいいと思います。

売国奴

日本の外交が、手詰まり状態になったようです。
ロシアの大統領が初めて北方領土にはいり、中国の恫喝に右往左往し、アメリカにすがっても日本に替わって交渉してくれるはずも無く、普天間の移設も先行きがわからないということになっています。
そんななかで中国は菅政権の崩壊を予測してか、首脳会談を拒否し、岡田幹事長の訪中を認めるというのですが、これは次期総理候補の1人としての対中強硬と見える前原外相潰しとしか思えません。そもそも岡田幹事長は、外務大臣に留任したかったようですが、アメリカの意向ではずされたとの話もあります。日本の総理・閣僚人事が、アメリカと中国の駆け引きで左右されるのでは、日本は独立国とはいえません。
一刻も早く衆議院を解散し、国民の意思を明確に問わなければ、民主主義でもなんでもない、植民地に成り下がってしまいます。

今回のロシア大統領の北方領土視察についても、日本政府の対応はあまりにも緩慢でありすぎます。対抗措置を検討すると総理は言ってますが、このような場合には即座に対抗措置を実行しなければなりません。ロシアの反応を見るような発言では、中国漁船事件と同じように、弱腰を見透かされ結果として何も出来ないで終わってしまいます。卑怯者は去るのが、外交の原則ではないでしょうか。

今回の漁船事件でも、テレビのコメンテーターなどは「結果として世界から警戒され、損をしたのは中国である。」などと知ったかぶりをしているバカがいます。しかしそんな言い訳は、牽かれ者の小唄でしかありません。

中国はチベットで100万人以上といわれる虐殺を行い、平然と世界平和のためにと唱えています。ロシアも大粛清期にウクライナヴィーンヌィツャ大虐殺を行っていて、第二次大戦中にはポーランドで、カチンの森事件という23万人とも言われる大虐殺を行っていますが、謝罪していません。日本も対戦終了時に、満州や朝鮮で捕虜となった兵士が虐待と虐殺を受けていて、さらには民間人が多く殺されたり強姦されたりしています。

ひどい話になると、日本人の集落に襲い掛かったロシアの兵士は、若い婦人だけを広場に集め、家族の見ている前で輪姦したそうです。この話をしていただいた方は、私に「何があってもロスケだけは許さない。」といっておられました。

外交とは国を護る手段の一部であり、国を護るということは国民を護ることです。
外交とは相手国と仲良くするために、相手の機嫌をとることではありません。そんなことをしていると、国民の命も誇りも奪われる結果になり、国がなりたたなくなります。
こういう外交方針を、売国外交といいそれを推進する政治家・官僚を、売国奴というのです。

後世になって売国奴の汚名をきることのないように、菅総理民主党もさっさと日本から去るべきでしょう。

老師の手法

中国ではあいも変わらず、反日デモが続いています。
その殆どが、内陸部で低所得者層の多い地域です。中国の庶民の多くは、政府によるヤラセデモだと見ているようですが、最近ではチベット族による政府批判のデモまで起こっているようです。これも内陸部に外国のメディアが入り込んでいて、強硬な弾圧をやりにくいところを見計らってのデモでしょう。

そういえば、中国共産党宣伝部が対日報道指針を18日に出したそうです。それは

1.中国国営通信である新華社通信外には反日デモを独自に報道してはいけない。
2.日本の右翼勢力関連報道は中国外交部の見解をもとに報道する。
3.中国内の反日デモ、日本内の反中デモは1面のように注目度が高い面では報道しない。
4.日本関連突発事件は各メディア幹部の指示を受けて処理する。
5.その他日本関連報道は新華社通信の記事だけ使う。

の5項目だそうです。中国共産党宣伝部といえば、対日強硬派で有名な中央政治局常務委員・李長春がいますが、李は党中央精神文明建設指導委員会主任という立場で、中国の対外宣伝関係をコントロールしています。李は温家宝と国務院総理の座を争い、温に敗れました。
その恨みからか、対日穏健路線である温家宝に対して、ことあるごとに反発しているようです。政権末期の温家宝も、李の強硬路線に反発しにくい中で、今回の中国漁船事件が起こったのだと思います。そのためか今回の事件での温家宝の発言は、必要以上に強硬であり、そのための対抗措置も常軌を逸したものがありました。

守旧派といわれる江沢民一派と、胡錦濤温家宝共青団派の争いの中で、対日路線はエスカレートしていると思われますが、肝心の次期国家主席候補の習近平はどのように対日政策を考えているのか、はっきりとしないように思われます。

習近平太子党といわれる、共産党の古参の幹部の親近者の派閥を背景にしています。その太子党が巻き返しを図る江沢民派と手を組んで、習近平を押し立てたというのが一般的な見方です。しかし習近平も諾々として江沢民派の言いなりになっているようではなく、江沢民派はすでに殆ど力が無いとも言われています。事実現在の中央政治局常務委員のなかでは、9人の常務委員の内、胡錦濤をはじめ7人が1940年代生まれであり、1950年代生まれは習近平胡錦濤側近の李克強の2人だけです。またその下部の中央政治局委員になると、先の常務委員を含めて25人になりますが、李源潮・汪洋を含めて4人しかいません。つまり習近平が権力を掌握するときには、大幅に幹部が入れ替わることになると思われます。
そしてそれは今までのような、江沢民派とか共青団派とかではなく、新たな勢力が生まれることになるのでしょう。

最近 官僚の腐敗の根絶のキャンペーンが、再び盛んになってきたようです。これは官僚に対する、国民の信頼がさらに失われつつあることを意味しています。つまり胡錦濤が抜擢してきた官僚たちが、その権力行使の過程で利権を得たことへの批判でもあります。
また官僚たちの利権獲得の手法として許認可権限がありますが、土地の使用権売却の許認可が一番大きいものです。この権限を乱用した結果が、あちこちでの開発区の造成で、いまや中国では開発できる土地は無くなったとも言われています。この乱開発が不動産の高騰をうみ、成金を生んでいるのです。そしてその背景には、官僚たちの腐敗があります。

習近平はこの腐敗を叩くことにより、官僚たちを後退させ、そして新しい勢力を構築しようとしているのでしょう。それが中国共産党中央党学校だと言われています。習近平は現在、この中国共産党中央党学校の校長を兼務しています。各地の官僚や党員を、この党学校で再教育することになっています。ここで教育された人たちは、等しく習近平の生徒ということになり、「習老師」つまり習先生と呼ばれることになります。

習近平は腐敗にまみれた旧政権の官僚や守旧派を徐々に後退させ、新勢力を登用しようとしているように思われます。
しかし対外からの批判の多い中国が、人権問題や民族問題、また領土領海問題や貿易不均衡を解決し、国際社会に紳士としての立場を築くことが、そう簡単にできるはずはありません。中国人が常識を身につけるには、まだまだ相当の時間が必要なように思われます。

習老師のお手並み拝見です。